3年前から今のこと
所属しているコルクスタジオが開催するコルクフェスで「3年前と今の振り返り」テーマに、るびーもNoteで参加します!
機会がなければ振り返る気も起こらなかったのですが、この際、全ての創作アプダウンを祭ってしまいます!
3年前
3年前の2019年といえば、まだパンデミックになる前、インスタグラムでフォロワーさんが増え、漫画を書くのが死ぬほど楽しかった頃です。本業では翌年のバレスクフェスティバルのためにクチュール刺繍で衣装を作っていました。漫画を描けば2万、3万、5万人とフォロワーさんが増えて広範囲に届くのに対し、クチュール刺繍の技術で作る作品は劇場の一瞬のスポットライトのためのものであるいうジレンマに陥っていた頃でした。
衣装であっても漫画であっても私が伝えたいものは『性』をめぐる向き合い方だと思っていたから、物語で伝えられる手段は魅力的だった。
当時描いていた漫画
(産後のセックスレスに悩む夫婦のコミックエッセイ)
この頃やっとコマ割りをするようになりトーンをかけたり集中線を使ったり、漫画表現を多用できるようになったのでそれはもうめちゃくちゃ楽しかった。「なんか・・漫画みたいじゃん〜?!!」とテンションが上がって、夢が広がっていったのを覚えています。
2年前
・・2年前は、かつてないほどに衰弱してました。コルクスタジオに所属して半年、コルク漫画専科の卒業制作をしていた頃です。『私、漫画描けちゃうかも☆ウフフ!!☆』となっていたドリーミィガールな一年前から打って変わって、立ちはだかる壁に猛アタックしているのにどうしても超えられない自分にイライラし続け、情緒不安定極まり、セラピーに通ったりしてました。毎日泣いてたかも。
その頃向き合っていたのは乙武洋匡さん原作の作品「ヒゲとナプキン」の漫画版
もちろんそんな精神状態で漫画を描きつづけることはできず、「ヒゲとナプキン」漫画版は10ヶ月かけて1話のネームも完成できなかった。連載漫画の1話に1年から1年半かけることはザラなのだと編集サイドから聞いていたものの、嗚呼、実際に立ち向かい続けることの難しさよ・・・
この経験があって今分かることは
1作品に1つ、どんなに揺さぶってもブレない何かが必要だということ。
どんな的外れでバカで下品な方向だっていいんだが(そもそも私を作家に迎えてくれてる時点でコルクは包容してくれとる)何回質問されても、どんな方向から否定されてもブレない方向は1作品に1つ持つ。最終話まで走り切る時に、確実に持っておかないとスタートすらできない。
1年前
ネームへの苦手意識からギリギリまでネームに向かって、作画はほぼ締切数時間前に仕上げるスタイルになりました。今見ても配色がチカチカでエレクトリカルパレードしてます。笑
この一年は自己否定にのたうち回りながらネーム書いてたから製作中は最悪のコンディションで、「漫画仕上げてる人は、例外なくすごい・・!」と嫉妬心ゼロの尊敬の念を抱くようになった。聞こえはいいけど、そうすることで自分へのハードルをどんどん上げていったのだ。この一年の目標は、4ページの漫画がかけるようになる。マジでこれだけ。
ネーム苦手反動からファンアートで好きなものを楽しいままに描くという快楽を覚えてしまい、初めて1枚絵でプチバズれた・・♡
トヨタやディズニーの企業案件を頂けて、日本国外にも作品の届く幅が広がったのも貴重な経験でした。ネーム闇落ちしてたのに・・ほんと夢見せてくれるヨォ・・!一生漫画描きたいよお・・!ってなっちゃいます。
現在
2年前からほぼ描かなくなっていたコミックエッセイを再開しています。
アメリカのこと、身の回りのこと、家族のことを全ページカラーで紙書籍にしようというプロジェクトが今年の8月ごろから始まり、ついにネーム苦手マンをやめなくてはならない時が来ました。出版社の担当さんと、コルクの担当さんのチームで作っています。
作画は・・・同時に意識が向かなくて3年前よりひどいんですが、でも大丈夫・・あたい、絵描くのめっちゃ好きな人間だから・・!ネーム全部終わったらまた作画祭りやる!!
ネームと作画を同時にやるのは、次の課題ですね。
振り返り3年分、読んでくれてありがとうございました!!
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